WETSUITS

 

 

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まず始めに

自分は、サーフィンを始めて約41年が過ぎ、今でも好きなサーフィンを続けられている事に感謝しています。

 

下記は、私自身がDOVEウェットスーツと共に現在に至るまでのエピソードです。

 

今から38年前の1981年(当時17歳)、伊勢国府の浜で行なわれた、NSA全日本選手権にジュニアクラスに 福岡代表として一人でプラカードを持ち出場しました。

以前、新島に行った時に知り合った方が川崎代表として出ると言う事で、彼のサポートされていた カントリーラインサーフボード社長の宇佐見さんと、そこで働く池谷さん(現在酒匂のボス)の  まっ黒いセドリックセダンの車に、屋根には沢山のサーフボードを山積みにして乗せて貰い、湘南から伊勢へと車を走らせました。

到着後、向かった先が、なんとサーフィンワールド等の専門雑誌でしか見た事が無い、凄い顔触れの方達が宿泊していた。そうそこはDOVEチームの宿舎でした。

添田博道さん、蛸操さん、糟谷修自さん、久我孝男さん、今須伸政さん、中村大輔君、柳沢純一さん、鈴木弘さんと、まさしく当時活躍された雑誌のヒーローの面々であった。

当時は、背中の肩辺りにDOVEロゴ(通称“デカダブ”)が入ったライダーのみが着れるウェットとサーフボードに貼ってあるステッカーは、まさにサーファーにとって憧れの的でした。

そして、最初に声を掛けて下さったのが、DOVEの社長、戸倉(現会長)さんで、君は何処から来たんだいっと言われ、17歳の私は元気良く、はいっ福岡です。と答えたのが最初の会話でした。(夢のような光景で、今でも鮮明に憶えている)

試合では、添田さんにジャッジスタンド下でアドバイスを受け、見事5位と言う入賞が出来た。  そのお陰で当時、辻堂に有ったBOLT Surf (現在マーボロイヤル)の小室正則さんにお世話になり、ダブデザインのボルトチームライダーウェットを着させて貰い、その2年後に憧れのDOVEチームに入る事が出来た。

そして、二十歳の時にJPSAプロ公認を獲得しサポートを受けながら、今現在に至るまで、DOVEウェットを着させて頂いている。

また、戸倉さんは十代から上京した私の色んな面倒をずっと見て頂き、まさに父親的な存在で、海外トリップや沢山の素晴らしい経験をさせてもらいました。

そのDOVEウェットスーツは、今年44年目を迎える歴史あるブランドです。

極寒の北海道へ戸倉さん自ら足を運び、ウェットテストを幾度となく繰り返し、また、数々のクラシックポイントでサーフする地元のレジェンドサーファーやライダーとのコミュニケーションを図り、南は沖縄までと深い交流関係を作りその場所に適した快適なウェットスーツを提案し進化し続けています。

また、現在使われている、シーガルやスプリングスーツなどのモデル名の名付け親は、余り知られていませんが、実は戸倉さんだったのです。

更に、世界に有る七つの海の中には未開のポイントや、有名なスポットへライダーを引き連れサーフィンフォトグラファーと共に長年旅をし、色んなストーリーが専門誌に特集として掲載されて来ました

中でも有名なのは、冬のノースショアでパイプラインの目の前(今現在、家は跡形も無くエフカイビーチパークになっている)海が一望出来る一軒家を、ライダーの為に十数年余り借り続け “ダブハウス” と呼ばれ、沢山の著名人が当時訪れていた。

80年代には久我孝男さんと今須伸政さん、最近では脇田貴之プロがパイプラインマスターズに出場し、孝男さんと脇田君は、世界中の特別に選ばれた選手しか出場出来ない、あのワイメアで行なわれるエディーアイカウメモリアルコンテストに招待され20ftを超える波に豪快にアタックした快挙など、歴史に残る数々の伝説を作り上げ、記憶に深く刻まれています。

そして、1994年には日本人として初のボートトリップで、インドネシアの島々を航海し、その時、自分も同行させて頂き素晴らしい究極の想い出となりました。言うまでもなく、ボートをチャーターして波を追い求める新たなサーフトリップカテゴリーの始まりを作ったのも戸倉さんでした。

まだ他にも沢山の語りきれない程のストーリーが DOVE に有り、世界に誇れるトップブランドなのです。

そのDOVEウェットスーツと共に、今現在も携われる事を私自身誇りに思っています。

http://www.dovewet.com/

DOVE HISTORY : https://dovewet.com/history/

スーツを知る : https://dovewet.com/about-suits/

DOVE : SPRING & SUMMER 2019